物心つく前から飼っていた「チビ」は、大きな縞々の雄猫でした。
まだ幼い私が一人でトイレに行くと、暗い廊下で先回りして待ち構え、飛びかかってきたりと、からかわれてばかりで、可愛いというよりもちょっと怖い存在だったのを覚えています。
そんなチビですが、実家を増築している途中で何処かへ行ってしまいました。今でもたまにあの後、どうしたのかなと切ない気持ちになります。
その次は、市民プールで生まれた茶色の縞々雌猫の「チーコ」。
私は5歳くらいから子猫のチーコといたので、本当に仲良しでした。
病院ごっこなどで私に患者役にさせられ、包帯を巻かれても聴診器を当てられても、大人しく役に徹してくれたり、とにかくいつも一緒にいたのを覚えています。
散歩にも数キロ一緒について来る、犬のような猫でした。
「チーコ」は18歳まで生きました。
友達と池袋の回転寿司屋にいた時に、母からの電話で亡くなったことを知りました。死が近いことは分かっていたものの、強烈にショックだった気持ちを今でも鮮明に覚えています。
受け入れることのできない死、というものに、初めて直面した経験でした。
昨日まで生きていたのに、今はこの世に存在しないという事実が、しばらく理解できず、当時の私にとって「死」は実体がない不思議な存在でした。
その後、少なくとも半年間は、小動物が亡くなったり苦しんだりしている夢を見ていたように記憶しています。
その次は、動物病院の張り紙を見て貰ってきた、これまた茶色の縞々柄の雌猫「ミーちゃん」と、大学構内で生まれた黒猫の雌猫「福ちゃん」。生後3ヶ月くらいで我が家に来ました。
姉が家を出て、私もほどなく家を出ることを考えると、両親が二人きりで住むことがあまり良いことに思えず、私が再び猫を飼うことを勧めました。
「ミーちゃん」の名前の由来は忘れましたが、「福ちゃん」は父が「ラッキー」という名前の日本語版にしよう!と決めたものでした。
「なるほどね…」と妙に感心しましたが、親しい友人に福ちゃんというあだ名の子がいたので、なんとなく申し訳ない気がしており、友人の福ちゃんが遊びに来た時に猫の名前を伝える際、居心地の悪さを感じていました。
私はもう実家を離れていましたが、ミーちゃんも福ちゃんも21歳まで生きました。
今は、3年前から2匹の兄弟猫を飼っています。
保護猫団体の方から譲り受けた、またまた茶色の縞々柄の雌猫の「アズキちゃん」と、黒猫の雄猫の「トム」。不思議な縁で実家にいた「ミーちゃん」と「福ちゃん」とそっくりの2匹です。
アズキちゃんは、子猫の保護猫のお世話をする「ミルクボランティア」のご家庭のお子さんたちが付けてくれた名前を、そのまま頂戴しました。
「トム」は、『トム&ジェリー』が好きな夫のたっての願いで「トム」に。(最初は「黒豆」という名前を付けてくれていました。)
結果、全く親和性のない名前の「アズキ」と「トム」に。
2匹を育ててくれた兄弟の男の子の方が、お別れの時に辛くて辛くてボロボロと泣いてしまい、とても可哀想で、なんだか悪いことをしているようで、その日はいたたまれない気持ちでした。
お母さんは、お子さんの教育上良い経験になるとミルクボランティアを名乗り出たそうで、実際にご家庭で猫を飼う予定はなかったそうです。
後日、男の子のその後の気持ちが心配になり、連絡したところ、新たに保護猫を譲り受けることになったそうで、良かった良かった。
【猫の魅力ってなんでしょう?】
私にとっては、人間の孤独や切なさや寂しさを肯定してくれているような、そんな存在であり、とても好きです。
あまり群れないですし、人間にも取り立てて大きな愛情表現はないですが、側にいると、孤立したもの同士の仲間の心の繋がりを(勝手に)感じています。
「猫は自由でいいね」という評価をよく耳にしますが、自由は孤独と引き換えだよ、ということも教えてくれている様な存在です。
今日は猫の日だそうですね。これまで私の元に来てくれた猫たちに感謝の気持ちを込めて。
写真は来たばっかりのあずきちゃんと、少し大人になった頃のトム。
